会いたくない実母に子どもを預ける。私はこれを「取引」と呼ぶことにした

フクギ並木の通り道 わが家のこと

こちらの記事で、仲の良くない実家に頼りながらワンオペ育児をしていた、と書きました。今回はその中身の話です。

世の中には、実家が近くて、母親が孫の面倒を見てくれて、困ったらすぐ相談できて、一緒に買い物や旅行にも行く。

そんな親子もたくさんいます。

たぶん、そういう関係が一般的なのだろうと思います。

でも、世の中には、実の親と一緒にいるだけで疲れる人もいます。

会いたくない。話したくない。できれば関わりたくない。

それでも、子どもを預ける先がそこしかない。

そんな状況もあります。

私の場合、30代のかなり長い期間がそうでした。

先に結論を書くと、私は途中からこれを親子関係だと思うのをやめました。

子どもを預かってもらう。その代わり、母の頼みごとや親戚行事にはある程度付き合う。

これは親子の交流ではなく、取引。

そう考えるようになってから、少しだけ楽になりました。

私の母のこと

母は、戦後のまだ混乱が残る時代に生まれました。

安定した家庭で育ったわけでもなく、教育を受けることも、今ほど当たり前ではなかった時代です。

だからなのか、もともとの性格なのか、それは分かりません。

ただ、私が子どもの頃の母は、とにかく「指示」と「命令」の人でした。

自分の気持ちを聞いてもらった記憶は、あまりありません。

「周りに迷惑をかけたら生きていけないよ」

「世間からどう思われるか」

「ちゃんとしなさい」

そんな言葉を、いつも切羽詰まったような口調で言われて育ちました。

今なら「毒親」という便利な言葉があります。

でも、私が子どもの頃はそんな言葉も知りませんでした。

インターネットもないので、よその家庭がどうなのかもよく分からない。

母親とはこういうものなのだと思っていました。

結婚してから、少し驚きました。

義母が、母とはまったく違うタイプだったからです。

人の話を聞く。

子どもの気持ちを尋ねる。

何かを決めるときも、まず本人の考えを聞く。

ああ、母親というのは、必ずしも怒鳴ったり命令したりする存在ではないのか、と大人になってから知りました。

もちろん、これは私個人の母の話です。

同じ世代の人がみんなそうだと言うつもりはありません。

ただ、私の周りを見ていると、家庭の外では普通なのに、家族に対してだけは驚くほど遠慮がなくなる人というのは、案外いるような気がします。

外ではちゃんとしている。

近所にも愛想がいい。

でも家の中では、一番近い家族にだけ感情をぶつける。

そういう話は、表にはあまり出てこないだけなのかもしれません。

「実母と仲が悪い」と言いにくい

子どもが生まれてから、周りには母親と協力して育児をしている人がたくさんいました。

実家に子どもを預ける。

母親と一緒に買い物に行く。

困ったら相談する。

孫を連れて実家に遊びに行く。

そういう話を聞くたびに、私は少し居心地が悪くなりました。

世間話では義理の母親の愚痴はよく聞きます。

「口うるさい」「夫の実家には行きたくない」

こういう話は普通に出ます。

でも、不思議なくらい実母の悪口は聞きませんでした。

実の母親と仲が悪い、という話は、なかなか表に出てこないのです。

私の周りで一人だけ、保育園で知り合ったお母さんが、実母と折り合いが悪そうなことを話していました。

そのとき、内心で「いた!」と思ったのを覚えています。

たぶん、いないのではなくて、言えないのです。

私自身も、外ではほとんど話しませんでした。

実母と仲が悪いことには、義母との不仲とはまた別の後ろめたさがあります。

産んで育ててもらった親なのに。

実の親子なのに。

そんなことを言う自分の方がおかしいのではないか。

そう思ってしまう。

だから、黙っている人も多いのではないでしょうか。

それでも頼るしかなかった30代

私が子育てをしていた30代は、今思い出してもかなりきつい時期でした。

私は第二次ベビーブーム生まれで、就職は超氷河期。

何をするにも競争が激しく、ようやく仕事に就いても安定しない。

そんな世代でした。

結婚して子どもが生まれてからも、仕事と育児の両立は簡単ではありませんでした。

夫は休日も仕事がある業種。

姉妹はいない。

子どもが保育園で熱を出せば、誰かが迎えに行かなければならない。

仕事を休めないとき、頼れる先は実家しかありませんでした。

会いたくないから頼らない、という選択肢があればよかったのですが、現実にはありませんでした。

だから預ける。

預けるために実家へ行く。

一緒にいる時間が増える。

命令口調に腹が立つ。

言い返す。

ケンカになる。

子どもの前で言い合いをしてしまって、あとから自己嫌悪になる。

そして翌週には、また頭を下げて子どもを預ける。

今考えても、かなりしんどい循環でした。

母は「よそ様がこう言うから」と、周囲の意見にもすぐ影響される人でした。

私自身はほとんど付き合いのない親戚の行事にも、

「あんたも来るんだよ」

と当然のように連れて行かれる。

子どもを預かってもらっている以上、完全に断ることもできません。

時間も削られる。

気力も削られる。

でも頼らなければ、仕事も育児も回らない。

あの頃は、本当に余裕がありませんでした。

途中から「親子関係」だと思うのをやめた

あるときから、考え方を変えました。

この人と分かり合おうとするから疲れるのではないか。

母娘だから、いつか気持ちを理解してもらえると思うから傷つくのではないか。

そう思って、親子関係の改善を目指すのをやめました。

子どもを預かってもらう。

その代わり、母が必要としているときには行事に顔を出す。

親戚関係の用事にも、ある程度は付き合う。

これは交換条件。

私は勝手に、これを「取引」と呼ぶことにしました。

そう決めたら、少し気持ちが楽になりました。

母の命令口調も、

「ああ、また取引先が何か言っている」

くらいに思う。

小言を全部まともに受け取らない。

必要なことだけ聞く。

それ以外は流す。

親子なのに冷たいと思われるかもしれません。

でも、当時の私には必要な考え方でした。

相手に期待しない。

分かってもらおうとしない。

分かり合えないことに、いちいち傷つかない。

それだけで、消耗が少し減りました。

もちろん、これで母との関係が良くなったわけではありません。

今でも、相変わらずだなと思うことはあります。

ただ、あの頃の私に必要だったのは、母との関係を美しく修復することではありませんでした。

明日の仕事に行くこと。

子どもを育てること。

自分が潰れないこと。

まずはそれでした。

親子だから、仲良くしなければならないわけではない

親子関係について書かれた本や記事を見ると、「親と向き合う」「気持ちを伝える」「関係を修復する」という話がよく出てきます。

それができる関係なら、もちろんその方がいいと思います。

でも、すべての親子がそうできるとは限りません。

何度話しても平行線。

話せばケンカになる。

距離を取れば落ち着く。

でも完全には離れられない。

そんな親子もいます。

私は、会いたくない実母に子どもを預けながら子育てをしました。

好きだから頼ったわけではありません。

必要だったから頼った。

その代わり、母が求めることにもある程度応じた。

それを親孝行だとも、美しい家族愛だとも思っていません。

私にとっては、あの時代を乗り切るための取引でした。

きれいな話ではありません。

でも、現実にはこういう親子関係もあります。

もし今、会いたくない親に頼らなければならず、罪悪感を抱えながら毎日を回している人がいたら。

無理に仲良くしようとしなくてもいいのかもしれません。

感謝できない自分を責めなくてもいい。

心を通わせることより、まず自分の生活を守る。

そのために少し感情を切り離すことがあってもいい。

私はあの頃、それを「取引」と呼ぶことで、なんとか乗り切りました。

親子だからといって、いつも心まで差し出さなくてもいい。

必要な距離を取りながら、できる範囲で関わる。

それも一つの方法だったと、今は思っています。

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