はじめまして。
沖縄で、長男家の長女として生まれ育ちました。50代になった今、実家の仏壇行事や法事、葬儀のことを少しずつ書いてみようと思っています。
沖縄の仏壇行事というと、親戚がたくさん集まって、女性たちが手際よく料理をして、みんなで支え合っているイメージがあります。
でも、うちはそうではありませんでした。
兄は未婚です。姉妹もいません。
つまり、長男の嫁がいない家です。
仏壇のある家には、行事が途切れることなく巡ってきます。
その台所を支えるのは、だいたい女性たちです。
本来なら母と、長男の嫁と、娘たちで分け合うはずの仕事でした。
うちは母と私、実質ふたりだけで回してきました。
しかも家族仲も親戚仲も、お世辞にも良いとは言えませんでした。
若い頃は、仏壇行事なんて面倒だと思っていました。
仕事も忙しかったですし、母から「あれをやって」「これを買ってきて」と言われても、聞こえないふりをしたこともあります。
あの頃の私は、第二次ベビーブーム生まれ、就職は超氷河期という世代でした。
この言葉は、私の人生を振り返るときにいつも出てきます。
何もかもが「席が足りない」時代でした。
就職も、働き方も、子育ても、どこへ行っても順番待ちをしているような感覚がありました。
非正規雇用のまま出産の時期を迎えて、育休中に契約は終了。
保育園に申し込みに行けば、何百人待ちと言われました。
「日本死ね」という言葉が広がった、あの待機児童問題のまっただ中でした。
ようやく認可園に入れても、仕事の契約が切れて退園。
その後も妊娠と重なって働くことができず、無認可園の高い保育料を払いながら過ごしていました。
夫は休日も仕事のある業種で、育児はほぼワンオペでした。
姉妹がいれば愚痴のひとつも言えたのかもしれません。
でも、それもいません。
残る選択肢は、ひとりで抱えるか、折り合いの悪い実家の親に頭を下げて助けてもらうか。
どちらを選んでも、あまり気持ちは楽になりませんでした。
子どもが生まれてからは、実家を頼らないと仕事ができませんでした。
そうなると、実家との関係が多少ぎくしゃくしていても、「助けてください」と言うしかありません。
その頃からです。行事から逃げられなくなったのは。
実家に行くたびに嫌な気持ちになることもありました。
それでも重箱を詰めて、お茶を出して、片付けをして。
最初は母に言われるまま動いていただけでした。
でも気がつくと、「私がやる人」になっていました。
葬儀も経験しました。それも、一度や二度ではありません。
何をどうすればいいのか分からないまま、その場その場で調べて、人に聞いて、とにかく終わらせるしかありませんでした。
沖縄の行事は、ひとつ終わるとまた次が来ます。
旧盆が終わったと思ったら法事、その次は別の親族の行事。
20代、30代は仕事と子育てだけでも精一杯だったのに、そこへ行事が重なってきました。
振り返ると、あの頃はいつも何かに追われていました。
だから最近になって思うのは、全部きちんとやろうとすると続かないということです。
昔は、沖縄のしきたりだから、親に言われたから、親戚に何か言われるかもしれないから、とにかく全部やろうとしていました。
でも、それを続けていたらこちらが先に参ってしまいます。
無理なことは無理と割り切る。何かを切り捨てるのも、手段のひとつだと思うようになりました。
大人数のにぎやかな親戚に囲まれた沖縄の行事の話は、たぶん他のどこかで読めます。
ここに書くのは、そうじゃない家の話です。
この先も、我が家には問題が山積みです。
仏壇を誰が継ぐのか。付き合いの薄い親族とどこまで関わるのか。名義が古いままの土地をどうするのか。
正解を知っているから書くのではありません。
同じように、兄弟が少ない、親戚付き合いが薄い、親との関係が複雑、そんな立場で沖縄の行事をこなしている人へ、「うちはこうだった」「これは切り捨てた」という実例を残しておきたいと思っています。
私自身、もっと早くこういう話を読んでみたかったので。
あわせて読みたい
・[ナンカスーコー]
・[喪主リスト]


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